宮城県出身の伝説に残る4横綱・1大関

HOME > 宮城県をもっと知る > 宮城県出身の伝説に残る4横綱・1大関 (2001.03.31 更新)

あまり知られていないことかもしれませんが、宮城県/仙台藩は多くの大力士を輩出しており、4人が横綱、1人が当時最高位の大関になっています。 この4人の横綱というのは北海道が8人、青森6人に次ぐ第3位です。(東京、千葉、鹿児島も4人)

特に伊達家重臣、白石城主だった片倉家は、初代谷風や立行司の実質上初代とされる木村庄之助、第18代横綱・大砲らを輩出し、相撲との縁が深いところです。


初代谷風と18代横綱・大砲の碑 大関・初代谷風梶之助(たにかぜ かじのすけ)

本名:鈴木善十郎。1693年蔵王町出身、1736年没。191cm、153kg。

この時代の大関はまだ横綱の位がなかったため最高位。
「谷風の前に谷風なく、谷風の後に谷風なし」と言われ、相撲中の相撲と称された。 四国高松城主のお抱え力士だったので「讃州谷風」と呼ばれ、全盛期には9年間無敗を誇った。

この「横綱の碑」は白石市白石城に建立されていて谷風と大砲の名が刻まれている。これは大砲の碑を建立するとなった時、大砲は「同郷に谷風という大先輩がいるのに私の碑が建てられるのは心苦しい。一緒にしてもらえるなら」という条件で了承したというエピソードが残っている。


第2代横綱・丸山権太左衛門 第2代横綱※・丸山権太左衛門(まるやま ごんだざえもん)

本名:丸山銀太夫。1713年登米郡米山町出身、1749年没。197cm、161kg。仙台・七つ森部屋

大関時代(当時は横綱の位がなかったため最高位)の13年間に他の大関に2度敗れただけという無敵を誇った。 横綱になって3ヶ月後、長崎巡業中に病死。享年37才であった。力士としては珍しく、俳句を作る風流人でもあった。

銅像は、道の駅米山に建立されている。

※米山町では第3代横綱となっている
右:丸山の生家跡碑
中:松寿院の正門
左:米山町中津山・松寿院にある墓碑
 墓は長崎市本河内町にある
丸山の生家跡碑 松寿院の正門 松寿院の墓碑


第4代横綱・谷風梶之助 第4代横綱・2代目谷風梶之助(たにかぜ かじのすけ)

本名:金子与四郎。1750年仙台市出身、1795年没。188cm、162kg。伊勢ノ海部屋

伊達家家臣の片倉家のお抱え力士として、1777年春場所から63連勝(4年間)の記録を樹立し、230回中負けが11回という無敵を誇った。 1795年、当時流行したインフルエンザにかかり、現役中にこの世を去った。(このインフルエンザは、ツワモノ谷風をも倒したということで、「タニカゼ」と呼ばれたという)

銅像は、仙台市匂当台公園に建立されており、現在は仙台場所入りした新横綱が土俵入りを披露する場所にもなっている。


第9代横綱・秀の山雷五郎 第9代横綱・秀の山雷五郎(ひでのやま らいごろう)

本名:菊田辰五郎。1808年気仙沼市出身、1862年没。164cm、150kg。秀の山部屋

幕内通算成績は112勝21敗、6回優勝。1845年から5年間横綱に在位。42才で引退。

銅像は、気仙沼市岩井崎(近くの御伊勢浜は白砂青松100選に選ばれている)に建立されている。


第18代横綱・大砲万右衛門 第18代横綱・大砲万右衛門(おおづつ まんえもん)

本名:角張万次。1869年(明治2年)11月28日、白石市出身、1918年(大正7年)5月27日没。197cm、体重135kg。尾車部屋

通算成績は98勝29敗51分け4預かり。
16才の時、三沢滝万右衛門のしこ名で初土俵、19才序二段に昇進し大砲万右衛門に改名。明治25年5月入幕を果たすが3勝6敗で負け越し、しかし上位陣総崩れのため小結に抜擢された。
(入幕1場所で小結になった力士も珍しいが、負け越しながら三役入りした力士は相撲史上初めてだったという)

1901年(明治34年)4月横綱に。1905年以降持病に悩まされ、翌年1月には1勝8分け、1907年5月には9日間引き分けし、「分け綱」と呼ばれた。
1918年(大正7年)5月腫れ物手術後、糖尿病による衰弱のため死去。

銅像は、白石市白石城に建立されている。


参考サイト/リンクサイト:
 ■ 
大相撲ホームページ

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