溺れた生徒を助けようとして殉職・小野さつき

HOME > 宮城県をもっと知る > 溺れた生徒を助けようとして殉職・小野さつき (1999.12.12 更新)

溺れた生徒を助けようとして殉職した教師 小野さつき (1901年/明治34年〜1922年/大正11年)

小野さつき 明治34年刈田郡福岡村(現:白石市)生まれ。白石実科高等女学校(現:白石女子高校)を卒業後、宮城県女子師範学校(東北大学教育学部の前身)を大正11年3月に卒業して、刈田郡宮尋常高等小学校(現:蔵王町宮小学校)の訓導(教師)となる。

その年7月7日の第5校時、担任をしていた4年生児童56人をつれて白石川の中河原に野外写生にでかけた際に悲劇がおこる。

授業も終わる頃になって暑さのあまり数人が川遊びを始め、そのうち3人が雨で増水していた川に流されてしまった。 これに気がついた小野訓導はとっさに着衣のまま飛び込み、3人のうち2人はすぐ助け出したが、もう1人を助けようとして川に飛び込み生徒にたどり着いたところで力尽き、激流にのみこまれていってしまった。


三谷寺の墓碑 殉職地の白石川 現場付近の「小野訓導殉職地」碑
左)蔵王町宮地区・三谷寺の墓碑
中)現場となった白石川(JR東北本線・東白石駅付近) 冬季は白鳥飛来地として有名
右)現場近くにたつ「小野訓導殉職地」碑


映画広告を掲載している新聞切り抜き この事件は「文部大臣からの特別表彰」、「宮村の村葬、参列者1万人、7時間」、「小野訓導をたたえる唱歌・歌・映画」「多額の浄財・募金」等、日本中に驚くほどの反響を呼んだ。

世界的声楽家・三浦環は東京丸の内帝国劇場から弔電をよせ、追悼として小野訓導が生前好んで口ずさんだグノーのアベマリアを告別演奏会のプログラムに加え、7月11・12日に仙台市公会堂で歌った。

映画「あゝ小野訓導」は日活映画全7巻として全国各地で上映された。
左は当時の新聞広告(小野訓導遺徳顕彰館所蔵)


小野訓導をたたえる唱歌を作ろうということになり、実業之日本社「婦人口論」が300円(当時)の懸賞金で1週間という期間で全国から詩を募集したところ、約6000詩の応募があったというエピソードが残っている。
【小野訓導の歌】 作詞:斎藤子郊(兵庫県) 作曲:山田耕筰
1. 先生わたしはおがみます 川に溺れた友達の
三つのいのちは二つまで 尊い御手に生きました
2. 先生わたしはおがみます 一しょに死んだ友だちの
小さいいのちは安らかに 星のお国にねています
3. 先生わたしはおがみます 大きくなった後までも
小野のさつきというみ名を 胸のお宮にまつりましょう

三波春夫も「花咲く墓標」という歌を歌っている。

【花咲く墓標】 歌:三波春夫
1. 蔵王の峰から流れ落ちる 白石川の小々波(さざなみ)に
呼べど還らぬ 小野先生
あゝ七夕の星空に 偲ぶ涙の小野先生
三波春夫の「大忠臣蔵」
2. 尊い命を子供の為に 捧げて逝きし白百合の
姿も優しい 小野先生
あゝ七夕の夕月も 泣いて呼んでいる小野先生
3. 貴女の命が教えた愛は みんなの胸の奥底に
生きております 小野先生
あゝ七夕の今宵こそ 仰ぐ気高き小野先生


宮小学校門前に建つ殉職記念碑 小野訓導遺徳顕彰館 小野訓導遺徳顕彰館の内部

左)宮小学校門前に建つ殉職記念碑(全国から2万円(現在の金額で約3300万)が集まった)

中)宮小学校敷地内にある小野訓導遺徳顕彰館 0224−32−2004
  昭和62年7月7日、65回忌にオープン
 【 開館時間9:00〜16:30 <休館日>毎週土曜日の午後、12/29〜1/3 】

右)小野訓導遺徳顕彰館の内部:人物紹介や遺品展示など
 小野訓導が愛用していた懐中時計はあの日の午後1時36分23秒を指したまま


HOME > 宮城県をもっと知る > 溺れた生徒を助けようとして殉職・小野さつき
Copyright(C) ふら夫婦おっと 【 http://www.isn.ne.jp/~ym/