幻の国際貿易港・野蒜築港

HOME > 宮城県をもっと知る > 幻の国際貿易港・野蒜築港 (2003.08.17 更新)

幻の国際貿易港 野蒜築港(のびるちくこう)

江戸時代の仙台領には、石巻、荒浜、寒風沢の3港があった。石巻は1626年北上川付け替えでできた河口港、荒浜は東廻り航路の起点とした阿武隈川の河口港、寒風沢は仙台藩の外港であった。
帆船時代には石巻が中心港であったが、幕末に汽船が運行されると浅い河口港は衰え、外洋に面している寒風沢が重要視されるようになった。

オランダ人技師セイ・ファン・ドールン 明治に入り、明治政府は東北の振興を図るため東北最大の国家プロジェクトとして、当時の代表的貿易港であった長崎・横浜港 に先んじて(横浜に先立つこと11年)、その拠点として野蒜築港が計画された。
その頃の野蒜は鳴瀬川河口の寒村であったが、明治9年(1876年)、明治天皇が東北に巡幸された折りに白羽の矢が立ち、 内務卿・大久保利通の提唱によって明治11年(1878年)河口に内港と都市用地を埋め立てて造成、北上川石巻と 松島湾東名との間を運河で結び、海岸線4キロメートルにわたる岸壁を構築して外港とし、外港停泊地との連絡を図るという 壮大な計画でオランダ人技師セイ・ファン・ドールンの設計で着工された。

 ドールン:福島県の安積疎水の設計を手掛けて成功に導いた実力を持つ技術者であり、明治政府期待の人物

野蒜築港は難工事の末、1882年(明治15年)10月に第一期内港工事が完了、埋め立て地に商店倉庫も建築され、汽船の入港も増加した。 野蒜築港の計画とあわせて、宮城県では水運を中心として県内各地及び隣接の福島、山形、秋田、岩手を結ぶ運輸、交通網を整備しようとして、 1882年(明治15年)当時進行中だった野蒜築港を前提として、以下の六大工事を計画、整備費用は県債を募集することとした。

 A)北上川〜阿武隈川を結ぶ木曳掘と東名運河開削
 B)三陸沿岸と石巻、野蒜を結ぶ牡鹿郡鷲神〜浦浜までの運河開削
 C)野蒜から中新田への水運を開き、秋田、山形両県を結ぶための鳴瀬川改修
 D)野蒜と古川から吉岡に達する新道開削
 E)石巻への舟運を便利にし、秋田県へ結び、治水を兼ねる迫川改修
 F)舟運と治水のための江合川改修

しかし、この案が新聞に掲載されると県債募集に対する世論の反対があり、県は一旦県債募集案を引っ込め、官民共同の会社組織で実施するよう変更、 翌年工事内容も変更した議案が県議会で可決され、道路を中心とした7大工事とした。

 a)玉造郡名生定村から秋田県境に達する羽後街道鬼首道路開削
 b)野蒜から玉造郡岩出山に達する羽後街道古川道路開削
 c)名生定村から岩出山、さらに加美郡中新田に延び、陸羽街道黒川郡吉岡に連絡する羽後街道中新田道路開削
 d)陸羽街道栗原郡金成から登米郡登米、黒沼、米谷を結ぶ陸中岐街道改修
 e)登米郡米谷と本吉郡志津川を結ぶ東浜街道改修
 f)松島湾と阿武隈川を結び木曳掘本・支線を造る貞山掘改修
 g)松島湾中の舟路改修

この案は運河を中心とした案より、道路を中心した案としたため、費用は100万円から68万円に減じたが、折りしも深刻な不況となり、国庫補助23万円を除く負担は県民生活を圧迫した。
上記のうち、a)は中止され、野蒜築港も失敗したが、この6大工事改め7大工事は7ヶ年計画で遂行された。

野蒜築港跡 1884年(明治17年)、台風によって突堤は一瞬のうちに破壊され、船舶の入港が不可能となり、当時68万円の 大金を投じて設営した日本初の洋式築港も2年で廃港となった。

内務卿大久保利通が野蒜に外港を造る予算を決済直後暗殺されてしまった。 野蒜築港失敗後、女川、松島に築港建設を検討、明治30年代に入りようやく塩釜築港が推進されることとなる。

野蒜築港は、場所が河口で外湾に直面しており、当時の技術ではしゅんせつが困難なこと、中心都市仙台に遠く、背後地に見るべき産業もなく、河川水運だけにとらわれ、陸上交通路の連絡が不十分。 要するに技術的、経済的に地点選定の誤りがあった。 しかもこの失敗は、政府が技術的・財政的に東北への大規模な港湾の建設を断念したという、以降の東北開発の近代化に 大きな陰影を投じた結果となった。


野蒜築港跡碑 野蒜築港跡碑

野蒜築港事業の一環として都市計画街路が縦横に区画された「市街地」の一角に建つ。 銀行、商店、米取引所などが軒を連ね、「野蒜新町ほうきはいらぬ 若い女の裾で掃く」ほど行き交う人馬で空前の賑わいを呈したという。

野蒜築港に身命を捧げた「黒澤敬徳の碑」と工事に使用したローラーが往時を偲ばせる。

野蒜測候所跡碑 野蒜測候所跡

野蒜築港の建設と開港に際して、日毎に変わる気象観測の重要性に鑑み、政府は明治14年この地に野蒜測候所を設けた。 昭和20年その跡地に「東北地方気象官発祥地の碑」が建立され、昭和49年この碑を修復して今日に至っている。


参考サイト/リンクサイト:
 ■ 野蒜築港120年委員会(土木学会東北支部)
   
HOME > 宮城県をもっと知る > 幻の国際貿易港・野蒜築港
Copyright(C) ふら夫婦おっと 【 http://www.isn.ne.jp/~ym/