| HOME > 100選宮城 > 塩竈市・多賀城市・松島町・七ケ浜町・利府町・大和町・大郷町・富谷町・大衡村 | (2006.08.16 更新) |
| 本塩釜駅 (ほんしおがまえき) | @東北の駅100選 |
仙石線・本塩釜駅
| みなと祭りと御座船 (みなとまつりとござせん) | @未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選 |
未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選
| 多賀城跡 (たがじょうあと) | @日本三大史跡 |
陸奥国(福島・宮城・岩手)の国庁が置かれたところで、奈良時代には鎮守府の置かれていた場所。
築地塀で周囲を区画し、中央部の約100m四方に政庁の他、官舎や兵舎がたちならんでいることが判明している。
| 多賀城碑 (たがじょうひ) | @日本三古碑 |
日本三古碑の1つ(他は群馬の多胡碑、栃木の那須国造碑)である多賀城碑は、砂岩を加工して碑面をつくり文字を彫り込んだもの。高さ約2m、幅約1m、厚さ約0.7mで碑面は西を向いている。碑面には上部に大きく「西」の文字があり、その下の長方形の枠線の中に11行140文字が刻まれている。 前半は多賀城の位置を京や国の境からの距離、後半は多賀城が724年に大野朝臣東人によって設置されたこと、762年藤原恵美朝臣朝獨によって修造されたことを記され、 最後に碑が建てられた年月日が刻まれている。
この碑は歌枕として有名な「壷碑」とも呼ばれており、1689年には松尾芭蕉もこの碑を訪れ、「おくのほそ道」の中に書き残している。
| 松島・奥松島 (まつしま・おくまつしま) |
| @日本三景 @新日本観光地100選 @白砂青松100選 @日本の都市公園100選 @日本の渚百選 |
松島が日本三景の1つといわれるようになったのは、江戸時代林春斎が「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景 境致之佳興丹後天橋立 安芸厳島為三処奇観」といったことに始まる。
松島湾の島の数は、昔から八百八島といわれるが、実際は普通人が見て島と認められるのは約230、島らしいのまで数えると280ほど。
【東:松島町・麗観・富山】
標高116.8m、松島町手樽の北東部。宮城郡と桃生郡の境界に近いので、2郡の各地や海上航行の目標にされている。明治中期まで著名文人の登山がたえず、「松島の景は富山に留めをさす」とか「天下好風の地もずいぶん見たが、仙台の富山ほど雄大で優美な山水を見たことが無い。おそらく唐土にもこんな景はなかろう」などと詠まれている。
明治9年には、明治天皇が東北巡幸で登られている。
【北:松島町・幽観・扇谷】
脚下は大沢の渓谷で、樹木が茂り、谷は東南にひらけ双観山の山々をこして松島湾や外洋との境に連なる桂島や朴島、寒風沢島が望める。
【南:七ヶ浜町・偉観・多聞山】
山からの眺めは眼下に馬放島、桂島があり、塩釜港に出入りする船が見れる。遠くは金華山を望める。
【西:鳴瀬町・壮観・大高森】
標高105.8m、奥松島、宮戸島中央の高い峰で、遠く栗駒山から奥羽山脈を望める。
【双観山】
松島湾と塩釜湾を望め、南は福島方面の海岸線、背後には船形連峰を一望できる湾内随一の展望地。
【西行戻しの松】
歌人・西行が牧童と問答の末敗退し、ここから戻っていったという場所。
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■ 松尾芭蕉が見た松島 「松島や ああ松島や 松島や」 この句を奥の細道紀行で有名な松尾芭蕉の句と信じている人が多いのではないでしょうか。あまりに松島に感動したので、この句を残したと。 実はこの句は小田原の狂歌師・田原坊という人物が後年作ったものであり、芭蕉の句ではありません。同行の曽良だけが「松島や 鶴に身を借れ ほととぎす」の句を残しています。
ただし、芭蕉は別の機会に松島を詠んだ句を残しています。 |
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■ 松島を観光したアインシュタイン 大正11年(1922年)12月3日、相対性理論で有名なアインシュタインが松島を訪れています。 これは、日本の物理学界の第一人者で東北大学の教授・石原純が招待したものです。 (石原教授はアララギ派の歌人であることでも知られています。なお、アインシュタインが松島を訪れた時は原阿佐緒との恋愛問題で大学を辞職しています) |
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■ 松島名物・かき(かき祭り) 松島の冬の味覚といえばかき(牡蠣)、毎年冬場には無料試食会や各種イベントがあるかき祭りが行われます。 〜 以下のレポートは1999年2月のものです〜 朝、うだうだしていて出発が遅くなったため、会場の松島公園・観光桟橋についたのは昼頃になってしまい、お目当ての無料試食のコーナーはほぼ売り切れ、有料格安のコーナーも予定数終了でちらほら閉店していましたが、なんとか具たくさんなべは食べることができました。
(左)無料のかきなべは具が売り切れでスープのみ! |
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■ 松島町出身、童謡「どんぐりころころ」の作詞者、青木存義先生についてはこちら
■ 奥松島・宮戸室浜出身、19世紀初めに日本人で初めて世界一周した儀兵衛と多十郎についてはこちら |
| 富山観音 (とみやまかんのん) | @奥州三観音 |
奥州三観音の1つである富山観音(他は牧山観音、箟岳観音)は大同年間坂上田村麻呂が、慈覚大師作の観音像を安置したことから始まると伝えられ、三間四方の下部の石造りが珍しい。観音堂のとなりには、伊達政宗の長女五郎八姫の寄進した梵鐘がある。
ここからの松島の展望は、「麗観」と称される松島四大観の1つであり、標高116mの丘陵地帯は杉、松、もみなどの大木に覆われている。これらの木は金華山航路の目標とされた。
| 松島海岸駅 (まつしまかいがんえき) | @東北の駅100選 |
仙石線・松島海岸駅
| 菖蒲田浜 (しょうぶたはま) | @日本3番目に開設された海水浴場 |
七ヶ浜町菖蒲田浜の菖蒲田海水浴場は、明治21年、日本で3番目(1番目は明治14年愛知県立病院長だった後藤新平が同県千鳥ヶ浜、2番目は明治18年に神奈川県大磯の照ヶ崎海岸)に海水浴場として開かれた。海水浴は、元来医療効果があるとされていたことで、明治天皇のご生母や皇族、後藤新平、宮沢賢治らが菖蒲田浜に訪れていたり、隣接の高山外国人居住区に避暑にきている外国人の利用も多い。
| 高山外国人居住区 (たかやまがいこくじんきょじゅうく) | @日本3大外国人避暑地 |
明治40年1月に当時のシュネーダー・東北学院院長らが村と999年間という、半永久的な地上権(地代1500円)を結び、アメリカ人が外国人避暑地として開設した。
水の七ヶ浜、山の軽井沢、湖の野尻湖と称される日本3大外国人避暑地。
アメリカ東海岸にある人口5万人のリゾート地プリマス市と姉妹都市を結んでいる。
花渕浜地区コミュニティーホームページ
| 七ヶ浜国際村 (しちがはまこくさいむら) | @公共建築100選 |
1993年、外国人避暑地が開かれた国際交流の歴史を背景として、花渕浜地区に開設された施設。
客席から海が見えるホールなどがある。
七ヶ浜国際村
| 七ッ森湖・南川ダム (ななつもりこ・みなみかわだむ) | @ダム湖百選 |
七ッ森湖・南川ダム
| あさひな湖・宮床ダム (あさひなこ・みやとこだむ) | @ダム湖百選 |
あさひな湖・宮床ダム
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