| HOME > 宮城県をもっと知る > 日本人で初めて世界一周した儀兵衛と多十郎 | (2003.12.02 更新) |
寛政5年(1793)11月27日、石巻の米問屋米沢屋の800石若宮丸は江戸向けの藩米1300俵余りと御用木材400本を積んで石巻港を出港。 乗組員は、船頭平兵衛以下16人、その中に宮戸室浜(現鳴瀬町)出身の水主儀兵衛と水主多十郎がいた。
若宮丸は、出港の翌々日から大シケに遭い、福島県塩屋崎沖あたりで石巻に戻ろうと方向転換したが、乗組員一同の必至の努力も空しく、北へ北へと押し流され、半年に渡る漂流ののち、辛うじてロシア領アリューシャン列島のオンデレッテ島に漂着した。
すでに船は大破し、積み荷の大半も海中に投棄されていた。
儀兵衛らはここで島民の手厚い保護を受け、その後ロシアの役人に引き取られシベリアを横断し、オホーツク、イルクーツクを経由し当時の首都ペテルスブルクに至った。
その8年もの間、船頭平兵衛を始め、病死するものもおり、首都についたのは10人だけであった。
たまたま、時のロシア皇帝は、熱心に対日貿易を希望し、その手段として漂流民の送還を企てた。
儀兵衛と多十郎、寒風沢(現塩竈市)の津太夫、佐平らは直ちに帰国を申し出たが、他の6人は洗礼を受けて帰化した者もいて残留を希望した。
皇帝の意に叶った4人は、金、衣服、時計等を賜わり、歓待された。
1803年6月18日、4人は軍艦ナジェージダ号に乗せられ、首都の外港カナジダ港から西回りの大西洋、南米を迂回し、太平洋を横断、1年3ヶ月後の文化元年(1804年)9月6日に長崎に入港した。実に11年ぶりの帰国である。
儀兵衛と多十郎らは、苦難の漂流の末、奇しくも日本人では最初に世界一周した人となった。
多十郎の墓碑には「文化3年長崎より下る多十郎 本田住良信士 行年36才」とある。
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