| HOME > 宮城県をもっと知る > アララギ派歌人・原阿佐緒 | (2000.02.18 更新) |
原阿佐緒(はら・あさお) (1888〜1969)「男や社会に翻弄されながらも歌に恋に奔放無垢に生きた美貌の歌人」
明治21年(1888年)6月1日宮城県黒川郡宮床村(現在の大和町宮床)生れ。古い商家・原家の一人娘。父幸松、母しげ。本名は浅尾(あさを)。
原家は、代々宮床の分家伊達氏 (初代宗房)の家臣で、塩や麹の販売を業とし、「塩屋」と号した。
宮床小学校〜吉岡小学校(大和町吉岡)〜角田尋常小学校(角田市)〜吉岡尋常小学校卒業後、宮城県立高等女学校(現、県立第一女子高等学校)に入学。その後肋膜炎を患い、女学校を三年で中退して宮床に帰る。
明治37年(1904年)、上京し日本女子美術学校日本画科に入学。その後奎文女子美術学校に転校し卒業。
明治42年(1909年)、「女子文壇」に投稿した一首が与謝野晶子に認められて新詩社に入社。4月から翌年6月まで宮城学院女学校(現在の宮城学院女子高等学校) で絵画を教える。現在の校章は原阿佐緒のデザイン。
大正2年(1913年)、「アララギ」に参加。処女作「涙痕」を出版(序文は与謝野晶子)、九条武子、柳原白蓮と共に三閏秀歌人としてその美貌と才能をうたわれる。
2度目の離婚後、大正10年(1921年)の東北大学教授・石原純との恋愛がスキャンダルとなり、清算後はマネキンガール・女優・酒場のマダムなどをし歌壇に復帰しなかった。
昭和44年(1969年)2月21日没。
仙台市太白区・野草園前 「家毎にすももはな咲くみちのくの春べをこもり病みてひさしも」
仙台市野草園前の歌碑の正面には遠く故郷の七ツ森が望める。(現地に行くまでなぜ野草園が原阿佐緒にゆかりのある場所?と思っていたが、歌碑から正面に七ツ森が見える場所とわかり納得)
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大和町宮床・生家(原阿佐緒記念館)の庭 「沢蟹をここだ袂に入れもちて耳によせきく生きのさやぎを」
大和町七ツ森湖畔・宮橋公園
「夕霧にわが髪はぬれ月見草にわにひらくをたちみつるかも」
■ 原阿佐緒記念館 022−346−2925
文明欧化主義者ともいえた父幸松が、大和町宮床地区に阿佐緒のために建てた生家をそのまま「原阿佐緒記念館」とした。
平成2年6月開館。
明治のロマンを残す貴重な洋館で、少女期からの阿佐緒の愛用品や彼女の短歌、写真などを展示。
写真右は大和町宮床・龍岩寺の原阿佐緒墓。
■ アララギ
明治41年(1908年)、蕨真(わらびまこと)が千葉県で阿羅々木として創刊し、翌年東京に移して表記もアララギと改め、伊藤左千夫を中心として根岸短歌会の機関紙となり、古泉千樫、斉藤茂吉、島木赤彦、土屋文明らが編集を行っていた。
「アララギ派」は大正、昭和を通じて近代短歌の発表に貢献。
■ 石原純(いしはら・あつし:1881〜1947)
理論物理学者・科学啓蒙家・歌人。日本の物理学界の第一人者と言われ、アインシュタインの相対性理論を日本に紹介したことでも有名。アインシュタインを日本へ招待した時の中心人物であった。(松島を観光したアインシュタイン)
号は、阿都志(アツシ)、物理学者としては純(ジュン)と称した。
明治14年(1881年)、東京の本郷、牧師の家に生れる。
明治29年(1906年)、東京帝国大学理科大学理論物理学科を卒業し、同大学院に進む。
明治34年(1911年)、新設された東北帝国大学理科大学助教授となり、ヨーロッパに留学して、ミュンヘンのゾンマーフェルト、ベルリンのプランク、チューリッヒのアインシュタインのもとで学んだ。
大正3年(1914年)、帰国後、教授に就任。
大正8年(1919年)、「相対性原理万有引力論及び量子論の研究」で日本学士院恩賜賞を受賞。
短歌では仙台のアララギ短歌会の中心的役割として「玄土(くろつち)」を創刊。
大正10年(1921年)、原阿佐緒との恋愛が社会的反響をよび、家庭を捨て大学を辞職、原阿佐緒との同棲生活に走った。それ以後は著作活動に専念。
「相対性原理」「物理学の基礎的諸問題」(岩波書店)などの優れた解説書を出した。訳書も多く「アインスタイン全集」全4巻(改造社)が有名。
昭和22年(1947年)1月19日没。
参考サイト/リンクサイト:
■ 漂泊の歌人・原阿佐緒
■ 大和町
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