七つ森と七つ森伝説

HOME > 宮城県をもっと知る > 七つ森と七つ森伝説 (1999.05.10 更新)

七つ森とは、
■ 笹倉山(ささくらやま)
■ 松倉山(まつくらやま)
■ 撫倉山(なでくらやま)
■ 大倉山(おおくらやま)
■ 蜂倉山(はちくらやま)
■ 鎌倉山(かまくらやま)
■ 逐倉山(とがくらやま)
を総称したものです。 なお逐倉山のとなりには、タンガラ森という山もあります。
七つ森は、「笹松撫できく仕立て、かりタンガラ森」と覚えてください。
七つ森
七つ森

これら七つ森には、巨人が1峰ずつ作ったといわれる七つ森伝説が伝えられています。
また、七つ森の各頂上に祀られている薬師如来石像を1日でお参りする「七薬師掛け」が地元に昔から受け継がれており、完走すると無病息災が叶うと言い伝えられています。


参考サイト/リンクサイト:
 ■ 大和町

七つ森伝説(七つ森と朝比奈三郎)

ずっとむかしのことだが、加美の郡(こおり)に朝比奈三郎(あさひなさぶろう)という力の強い男がすんでいた。

あるとき、朝比奈三郎は弓のけいこをしたくなった。そこで、弓の的になるような山はないかとさがしてみたが、ずーっと見とおせて、しかも、ひっこっと頭をもたげたようなかたちのいい山がみつからない。いっそのことつくったほうが早みちだと考えた。

的山をつくるにはたくさんの土がいる。どこかいい土取り場はないかとさがしあるいて、黒川郡の方までやってきた。そして、今の大郷町の東の方に広い広い原っぱを見つけた。

今度は、土運びの道具づくりだ。朝比奈三郎は、西の方にでんとかまえている船形山(ふながたやま)から、よくしなるクヌギの木を五、六本切って骨組みを作り、フジづるを結びつけて、タンガラモッコを作った。

そして、このタンガラに土をいっぱいもりあげると、しりを地べたにおろしてせおい、なわにうでを通すと、むーんと力をこめ、「よいしょ。」とかけ声をかけて立ちあがり、一足ごとに「えんこら、えんこら。」と声を出し、調子をとりながら歩きだした。

しかし、いくら力持ちの朝比奈三郎でもさすがにつかれて、とちゅうで一回は休まねばならなかった。ゆっくりとこしをおろして、手をついてから、ずんとしりをおろすと、タンガラのあぶ(あみ目)からドスッと土がこぼれた。栗駒山(くりこまやま)の方からふいてくる風は、つっーとあせの玉をころがして、とっても気持ちのいいものだ。

大和町で使用している朝比奈三郎のイラスト 七かえり(七回)土を運んだら、どうにかいいあんばいの的山ができた。休むたんびにこぼれた土が、これまた、ほどよい形の山を七つ作った。

その山は、七つ森(ななつもり)とよばれ、一番高い大森山(おおもりやま:506メートル)はクマザサが深くしげっているので、笹倉山(ささくらやま)ともよばれ、 頂上にはお薬師さまがまつられている。

マツの木の多い山が松倉(まつくら)、とがったのが逐倉(とがくら)、そして大倉(おおくら)、鉢倉(はちくら)、鎌倉(かまくら)、撫倉(なでくら)とならんでいる。

逐倉山のこしにあるとがった小さな山は、タンガラに残った土をたたきおとしたときにできたので、タンガラ森というのだが、あんまり小さいので、これは七つ森のうちには入らないことになっている。

黒川郡富谷町や大和町あたりから西の方をながめると、朝もやにけぶる七つ森は、まるで七人の兄弟のようによりそって見え、まっ赤な夕陽がしずむときの七つ森は、まるで朝比奈三郎が大弓を持って矢を射こんでいるように光がはしって見えるという。


的山ができあがると、いよいよ弓のけいこだ。よくしなるイヌガヤの木にフジづるをぴーんとはって、篠(しの)の三年竹の矢をつがえて、ピューン、ピューンと的山にむけて射こんだ。

もともと朝比奈三郎は弓の名人だから、一本としてはずれることはなかった。それにしても、おとなが百人がかりでもひけないような強弓をブーン、ブーンと張るのだから、朝比奈三郎はたいした男だ。

一千本の矢を射つづけたので、的山に矢を集めにいってみると、矢のささったあとには、ぽっくりとあながあいてはいるものの、一本の矢も見つからない。しかたがないので、また、矢を作って二回目のけいこをやった。

一千本射つづけて、また矢をひろいにいってみて二度びっくりした。やっぱり、矢は一本も見あたらないのである。的山が矢をくってしまったのだ。それからだれいうともなく、この山を矢喰(やくらい)山とよぶようになった。

加美(かみ)郡中新田(なかにいだ)町あたりから西の方に、ちょうど、富士山を小さくしたような美しいかたちの山が見えるが、それが薬莱山(やくらいざん:553メートル)で、加美富士ともよばれている。

朝比奈三郎が、タンガラいっぱいの土をせおって、えんこらえんこら、七かえりも行ったり来たりしたところには、大きい足あとのへこみがつづいて、大雨がふると川のように流れたものだ。

これが黒川郡大和町の吉田から桃生(ものう)郡鳴瀬(なるせ)町まで流れている吉田川で、土をとったあなに雨水がたまって品井沼(しないぬま:志田郡鹿島台町)になった。

品井沼は、むかし仙台領ではいちばん広い沼で、頭の先に巴の型がついた巴ブナがすんでいたし、食用になるヒシがいっぱい生えて、秋になると、人びとは小舟にのって、のどかに歌をうたいながらヒシ取りをしたものだが、今はすっかりほされて、りっぱな水田になっている。

出典・「宮城の伝説」:宮城の伝説刊行委員会発行


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