仙台に第二師団、旧制二高が設置されたわけ

HOME > 宮城県をもっと知る > 仙台に第二師団、旧制二高が設置されたわけ (2000.02.18 更新)

明治になって、仙台に軍隊では第二師団、旧制高等学校では二高が設置された。
(軍隊:第一師団=東京、第二師団=仙台、第三師団=名古屋、第四師団=大阪、・・)
(旧制高等学校:一高=東京、二高=仙台、三高=京都、四高=金沢、・・)
つまり明治新政府は、仙台を東京についで2番目に格付けしたといえる。

これには、「慶長遣欧使節」が大いに影響している。

明治4年(1871年)〜明治6年(1873年)にかけて、岩倉具視、木戸孝尢、大久保利通らの一行が国使として欧米を訪れていた。 維新を勝ち取った薩長を中心とする明治新政府には、いかにして西洋に追いつくかが最大の課題であり、このための国使派遣である。
その一行がイタリアのベネチアに立ち寄った際、「あなたがたより270年前に日本人が訪れている」と言われ、一行は非常に驚いた。 我こそ新生日本の明日を担うという強烈な自負心を持った一行は当然最初におとずれた日本人と信じていたからだ。

そんな一行は、慶長遣欧使節を派遣した「伊達政宗」なる大名が奥州仙台にいたことさえも忘れていた。一行の出身地で構成した官軍に破れ、賊軍と軽蔑していた奥州のことなど感心がなかったのだろう。 しかし、一行が帰国後「慶長遣欧使節」の実態を知って、仙台へのそれまでの態度を一変させた。 それは時の実力者内務卿大久保利通をも揺り動かしていた。

明治9年明治天皇の巡幸(供奉者は明治政府のベストメンバー、岩倉具視、木戸孝尢、大久保利通、大隈重信ら総勢148名)にあわせ、 仙台では日本で最初の博覧会を開催している。(第1回の内国博覧会は翌明治10年東京上野公園で開催) この博覧会に支倉常長の油絵も展示された。
伊達家ではそれまで常長の絵などはキリシタンだというので奥深く密蔵しておりそんな貴重なものとは知らなかったと伝えられている。
また明治天皇は、松島四大観の1つ富山に登られている。

明治天皇の巡幸は明治政府の東北に関する関心を深めたものであり、これは明治政府は当初首都を大阪にすることを ほぼ決定していたのが、にわかに東京へ遷都したことにも現れる。 それは必然的に東北への政治的重心を高めたもので、仙台に第二師団、旧制二高が設置されたこと、 野蒜築港をはじめとする国家的大規模プロジェクトの実行等につながっていく。


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